現在、105人の団員がこの御城印を所有しています。
越前和紙を使用しており、右肩には秀吉の造語とされる「聚楽」を意味する「長生不老の樂(うたまい)を聚(あつ)むるものなり」と記載されている。
豊臣秀吉が関白就任後に用いたとされる「五七の桐」がデザインされている。
京都府京都市上京区今出川通大宮東入元伊佐町265-1
営業時間:9:00~17:00
定休日:月曜日
京都市の発掘調査で出土した1000点もの考古資料を展示する資料館。常設展は観覧無料。特別展も開催される。建物は1914年(大正3年)に建てられた市登録文化財の旧西陣織物館で、レトロな外観が建築マニアにも人気。
入手した自慢など自由にコメントしてください。画像の添付も可能です。
所有していなくてもコメントは可能ですので、所有者への質問や見つけた情報などを投稿してください。
ただし売買・交換についての投稿は禁止です。また誹謗中傷など個人や団体を傷つける内容など、不適切と判断した場合は削除いたします。
安全で有益な情報交換の場にしましょう。
(投稿いただいたコメントや写真は攻城団の利用規約に基づいて利用させていただくことがあります)
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
アイヌ民族についてこれまで「シャクシャインの戦い」「地図で見るアイヌの歴史」を読んできましたが、もっと知りたいと思いこの著書を手に取りました。この著書にはアイヌと認識される前の北海道に付いても記載があり、北海道式古墳というものがあることを北海道に22年間住んでいたにもかかわらず初めて知りました。現在の歴史の教科書にも記載のあるシャクシャインの戦いに対して弘前藩も出兵をしており、アイヌ勢と直接戦うことはなかったが、その当時弘前藩内には津軽アイヌの方々が生活しており、彼らは出兵の手助けをしたり、更に兵として参加していたという記録があるそうです。明治以降は日本とロシアとの政治的駆け引きに翻弄されるアイヌ民族を目の当たりにすると共に、この日本も決して単一民族国家では無いことを再認識させられる一冊でした。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する